カメラの歴史③ 「フィルムのはじまり」
|
|||||
|
|||||
1826年に、フランスのニエプスがはじめて「写真」を完成させました。ニエプスが使った感光材料は、みなさんの周りの道路に使われているものと同じ「アスファルト」でした。夏の暑い日に屋外で8時間光を当てることでアスファルトを固め、固まらなかった部分を油で洗い流すことで画像を作りました。 |
|
|||
|
やがてもっと短い時間で鮮明な画像を写したいと考えたニエプスは、「銀」が化学変化で黒くなる性質に注目しました。 そして同じフランス人のダゲールと協力して研究を続けました。 |
||
その結果、銀でめっきした銅板にヨウ素を当てることで感光材料とし、撮影後は水銀蒸気で「現像」をする方法を完成させました。 |
|
||
「現像」を行なうことによって光を当てる時間を20~30分へと短くすることができました。この方法をダゲールは「ダゲレオタイプ」と名づけて1839年に発表しました。 |
|
||||||||
ダゲレオタイプは現在の写真と比べると大きな違いがひとつあります。それは「焼き増し」ができないということです。 現在の写真では撮影でまず「ネガ」を作り、それをもう一度、感光材料を塗った紙である「印画紙」に写すことで作っています。
|
|
||||
タルボットが発明した「ネガポジ法」は、ネガに紙を使っていたので画像があまり鮮明ではありませんでした。そのためネガにガラスを使うことが考えられました。 1851年にイギリス人のアーチャーがガラス板の上に「コロジオン」という液体と銀化合物を塗って感光材料にする方法を発明しました。この方法を「湿板」と呼びます。
|
|
|||
|
1871年にイギリス人のマドックスが「コロジオン」のかわりにゼラチンを使った方法を発明しました。 | ||
この方法は「湿板」に対して感光材料が乾燥していることから「乾板」と呼ばれます。 |
|
||
湿板の場合は写真を写す人が自分で感光材料を作る必要がありましたが、乾板は保存ができたのであらかじめ工場で大量に作ることができるようになりました。 また感光材料にゼラチンを使う方法は現在の写真でも使われています。 |
|
|||
「乾板」に使われているガラス板は重く、また割れてしまうという不便な点がありましたので新しい材料として「セルロイド」を使うことが考えだされました。
また「ロールフィルム」が生まれたことで「映画」も誕生することとなったのです。 |
|||
|
|
||||||
写真で像だけはなく色までも再現したいという考えは写真誕生直後からあり、光の3原色(青・緑・赤)をいったん分解してネガを作り、それを幻灯や印刷物で再現する方法で「カラー写真」が作られていました。 現在のような「現像」によってフィルムに再現する方法では、1935 (昭和10)年にアメリカのイーストマン・コダック社が発売した「コダクローム」が映画用として誕生したのが最初です。 1936(昭和11)年には写真用としても発売され、同じ年にはドイツのアグフア社からも「アグフアカラーノイ」が発売されました。
日本では1941(昭和16)年に小西六が発売した「さくら天然色フヰルム」と、1953(昭和28)年にオリエンタル写真工業の「オリエンタルカラーフィルム」がそれぞれ「カラーリバーサルフィルム」「カラーネガフィルム」として最初の製品となっています。 |
||||||
|
|
|||
ここまで紹介してきたフィルム(感光材料)はすべて「現像」という処理が必要なため写した写真をすぐに見ることはできませんでした。そのため、より早く写真を得るためにカメラ内部で現像処理ができるカメラが湿板方式の時代から作られていました。 | |||
|
現在「インスタント写真」として知られている方法は、1947年にアメリカのエドウィン・ランドが感光材料に銀を使用し、「ネガポジ法」を応用してゼリー状の薬品を使用する「拡散転写法」で数分以内に画像を得る方法を発明しました。 | ||
発明翌年の1948年には、ランドが経営していた「ポラロイド」社からはじめてのインスタント写真用カメラ「ポラロイド・ランド95」が発売されました。 |
|
||
初期のインスタント写真はセピア色の画像でしたが後に黒白となりました。また1963年にはカラーフィルムも誕生しました。 最初に発明された方式は一定の時間が過ぎたあとにポジシートとネガシートを引きはがす方式でしたが、やがてポジシートとネガシートを一体化して時間がたつと画像が浮き出てくる方式が誕生しました。 これらふたつの方式は現在でもインスタント写真に使用されています。 |
|||
|