山端祥玉が見た昭和天皇 ――摂政から象徴まで――
1945年10月に写真通信社サン・ニュース・フォトスを興した山端祥玉氏は、年末に宮内省嘱託
となって昭和天皇一家を撮影しました。敗戦後に天皇の戦争責任が叫ばれる中で、その人間性を
伝えようと、団らんのひと時をもつ家庭人、顕微鏡を覗く科学者としての姿をとらえています。一連
の写真は、1946年の元旦に新聞各紙が掲載した「人間宣言」に添えられ、同年2月4日号の米グ
ラフ誌『LIFE』に掲載され、さらに、1947年には日英併記の写真集『天皇』(トッパン)にまとめられ
て、内外に大きな反響を呼びました。
遡る戦中の山端氏が率いた写真製作会社G.T.サン商会は、陸海軍などの写真業務を請け負い、
大規模な演習や皇紀2600年式典に臨む軍服姿の昭和天皇を写しています。天皇は、戦後制定さ
れた日本国憲法によって日本国と日本国民統合の「象徴」と規定されましたが、現人神であった戦
中の軍服姿も、また、その頃の我が国を象徴していたと言えましょう。
今回展示の作品は、山端氏が仕事で携わったものとして、ご遺族からJCI Iに寄贈された1920
年代から1940年代の写真です。終戦から70年の節目にあたり、昭和天皇の写真を通じて時代や
社会を振り返る本展が、これからの日本を考える機会になれば幸いです。
★作品展にともない、会期中の12月12日(土)に 飯沢耕太郎 +白山眞理 トークショー「山端祥玉が見た昭和天皇―摂政から象徴まで―」 を開催致します。是非ご参加ください!←終了いたしました。
山端 祥玉(やまはた しょうぎょく、1887-1963)
1887年4月4日、福井県生まれ。本名啓之助。
小学校を卒業し、1904 年より東京・本郷の望月東涯に写真を学ぶ。その後、近衛歩兵一連隊に入営し、 除隊後出張写真師となる。
1910年、蘭領スマトラ島メダン市の朝日写真館技師長に就任。
1914年、英 領シンガポールに写真材料商サン商会と写真館設立。帰国して1927 年にG.T.サン商会(東京築地。 1943 年に山端写真科学研究所と改称)を創設。1933 年に写真印画用の高速輪転機で特許を取得。
1937 年より終戦まで内閣情報部、海軍省、陸軍省の嘱託となり、1938年より陸軍の上海写真製作所で あるプレス・ユニオンを名取洋之助と共に担当。
1945年10月に写真通信社サン・ニュース・フォトスを設 立し、宮内省嘱託となって天皇一家を撮影。
1946 年に戦後間もなく解散したG.T.サンを再興し、同年に 毎日新聞社の出資を得てサン写真新聞社創設。
1947年に公職追放となり各社代表を退く。
1963年2月 24日没。75歳。長崎の原爆投下直後を撮影した山端庸介氏は長男。
タイトル
山端祥玉が見た昭和天皇 ――摂政から象徴まで――
開催期間
2015年12月1日(火)~12月24日(木)
展示内容
終戦から70年の特別企画展。山端祥玉の率いた写真通信社サン・ニュース・フォトスが撮影し た昭和天皇一家の日常。これらは1946年の米グラフ誌『LIFE』に掲載され、さらに、1947年 には日英併記の写真集『天皇』(トッパン)にまとめられて、内外に大きな反響を呼んだ。また、 戦中の山端が興した写真製作会社G.T.サン商会が、陸海軍から写真業務を請け負い撮影した、 大規模な演習や皇紀2600年式典に臨む軍服姿など、日本と時代の象徴たる昭和天皇をとら えたオリジナルプリント約70点(全てモノクロ)を展示。
展示点数
約70点(全作品モノクロ)
図録販売
今回展示される作品を収めた図録を制作し、フォトサロン受付にて販売します。または通信販売もご利用いただけます。
図録はこちら
開館時間
10:00~17:00
休館日
毎週月曜日(祝・祭日の場合は開館)
入館料
無料
所在地:102-0082 東京都千代田区一番町25番地 JCIIビル
交通機関
- 東京メトロ◎半蔵門線半蔵門駅下車 4 番出入口より徒歩 1 分
- 東京メトロ◎有楽町線麹町駅下車 3 番出入口より 徒歩 8 分
- 都営バス「都03 (四谷駅 – 半蔵門 – 日比谷 – 銀座四 – 晴海埠頭)」
- 都営バス「宿75 (新宿駅西口 – 東京女子医大前 – 四谷駅前 – 半蔵門 – 三宅坂)」
半蔵門停留所下車 徒歩 4 分
- 駐車場はございませんので、お車でのご来館はご遠慮ください。
- 日本カメラ博物館とJCIIフォトサロンの入り口は異なりますのでご注意ください。
- 日本カメラ博物館へご来館の際は、お足もとが不自由な旨ご連絡いただければ、エレベーターにてご案内いたします。
- JR東京駅からは、東京メトロ◎丸の内線東京駅→大手町駅にて◎半蔵門線に乗り換えると便利です。