「世界のライカ型カメラ-小型精密カメラの進化と発展-」
日本カメラ博物館講演会 開催
「田中長徳“らいか”を語る」
講師:田中長徳氏(写真家)
2014年5月17日(土)13:00~15:00
日本カメラ博物館(館長 森山眞弓)では、来る2014年3月11日(火)から6月22日(日)まで、特別展 「世界のライカ型カメラ ―小型精密カメラの進化と発展―」を開催します。
「小型精密カメラ」という新たな分野を築き上げた「ライカ」は、1923(大正12)年頃に試作機(後に「0型」と呼ばれる)が製造され、1925(大正14)年に「ライカⅠ(A)」が発売されました。その後、「ライカ」は35ミリフィルムを使用するカメラとして常に世界の写真業界を牽引し、同時に世界各国では「ライカ」を手本とした類型機が生み出されました。
しかし、それらは単なる模倣というだけではありません。「ライカ」を至高の存在と崇めるのではなく、「小型精密カメラとは何か」、「カメラに求められるものは何か」を考え、世界各国の製作者が解釈と思考を重ねて展開し、その後のカメラ発展にも繋がったカメラ史の重要な1ページにもなっています。
特に日本では、「ライカに追いつけ、追いこせ」を合言葉に、各社が競った時代があります。
それは結果的に日本のカメラメーカーが「ライカ」とは別の方向へと歩むきっかけともなり、日本が世界に誇る一眼レフカメラの発展へと繋がりましたが、現在でも、デジタルカメラ製品の中で注目を浴びている「ノンレフレックス」または「ミラーレス」と呼ばれるレンズ交換式デジタルカメラの人気の陰に「ライカ」の影響が見え隠れしています。
今回の展示では、本家の「ライカ」を手本とした世界各国の「ライカ型カメラ」を紹介し、ごくわずかしか製造が行われなかったカメラ、確認されているものが数台に留まるカメラなどの希少なカメラも展示いたします。
展示予定機種より
●「フェド」 フェド (ソビエト) 1938(昭和13)年
ソビエト連邦はライカ型カメラをいち早く製造した。「フェド」(FED)の名前はMKGB(後のKGB)長官となる、フェリックス・エドムンドヴィチ・ジェルジンスキの名前に由来する。「フェド」はソビエト連邦崩壊前後まで改良・製造が継続された。
●「コダック エクトラ」 イーストマン・コダック (アメリカ) 1941(昭和16)年
アメリカも第二次世界大戦以前にライカ型カメラを製造した少ない国のうちのひとつ。
世界最大の感光材料会社だったイーストマン・コダックが製造した「エクトラ」は特徴的な概観の中に、カメラにとって当時考えられるほとんどの機能を装備した。
●「フォカ (一つ星)」 O.P.L. (フランス) 1947(昭和22)年
フランスは写真発明国のひとつ。「フォカ」は戦後間もなくから製造が開始された高品位なカメラ。「ライカ」と似た方向性で展開しているが、ドイツ製とは明確に一線を画した製品。
●「フォイツィカ」 カール・フォイツィク (西ドイツ) 1948(昭和23)年
ドイツ製のライカ型カメラは多いとはいえない。「フォイツィカ」は数少ない事例のひとつで、もともと「フォイカ」(Foica)の名称で発売されたが、エルンスト・ライツからのクレームで「フォイツィカ」(Foizica)に変更された。
●「ガンマⅢ」 ガンマ (イタリア) 1949(昭和24)年
イタリアは独創的なライカ型カメラを多く製造している。「ガンマ」は特徴的な外観だけでなく機構面でも突出しており、裏蓋着脱式で2枚の曲面の金属板がシャッターとして使用されている。
●「ウィカ」 ウィーンカメラ工場 (オーストリア) 1948(昭和23)年
オーストリアは戦後に少量ながらカメラ製造を行ったが、「ウィカ」もそのひとつ。きわめて手作りに近い少数の製造に留まったと思われ、当館が収蔵しているこれらの2台も各部で相違が見られる。
●「ペリフレックス」 K.G.コーフィールド (イギリス) 1953(昭和28)年
イギリスも写真発明国のひとつだが、「ペリフレックス」はその歴史の中でも特徴的なカメラ。潜望鏡(ペリスコープ)式のミラーと焦点板で画面の中央部を見て焦点調節をおこなう方式で、いくつかのモデルが製造された。
●「紅旗20」 上海照相機廠 (中国) 1971(昭和46)年
中国も少数ながらカメラの製造を行っていたが、「紅旗20」はライカ型カメラの中でも珍しくバヨネットマウント型の「ライカM4」に似たもの。200台のみの生産といわれる。製造された交換レンズもライカ製レンズに似たものになっている。
●「ハンザ・キヤノン」 精機光学研究所 (現キヤノン 日本) 1935(昭和10)年
日本で最初の35ミリ判距離計連動カメラ。このカメラを製造した精機光学研究所は現在のキヤノン。装着するレンズと装備している距離計部は日本光学工業が製造した。上方に飛び出す、通称「びっくり箱」と呼ばれるファインダーが特徴的。
●「ゴコク(護国)I 」 理研光学工業 (現リコーイメージング 日本) 1939(昭和14)年
35ミリフィルムではなく、当時の小型カメラで多く使用されていた裏紙付きの127フィルムを使用。似た構造のカメラに同社製「リコール」、富岡光学器械製「ローザー」があるほか、レンズ固定式のもの、交換可能なものなど、いくつかのバリエーションがある。
●「レオタックス(オリジナル)」 昭和光学工業 (日本) 1940(昭和15)年
距離計の光路をファインダーの光路が通過するエルンスト・ライツの特許を回避するために「ハンザキヤノン」は「びっくり箱」式のファインダーを装備したが、「レオタックス」は距離計の外側にファインダーを装備。特徴的な外観となった。
●「ニッポン」 光学精機 (日本) 1942(昭和17)年
「ハンザキヤノン」の製造経験者を中心に設立され、カメラの修理や改造を専門としていた光学精機社が、軍部からの依頼でライカの特許を無視して製造を開始。軍用や報道用に納入されたが戦後も継続して発売された。
●「ニッカⅠ(オリジナル)」 ニッポンカメラ(後のニッカカメラ)(日本)1948(昭和23)年
「ニッポン」の戦後型。「ライカⅢ」型と同等だが視度補正は装備しておらず、次の「ニッカⅢ」型から装備。「ニッカ」は後に「レオタックス」とともに国産ライカ型カメラの代表格となる。国内はもとより海外にも輸出されることになる。
●「パックス ゴールデンビュー」 大和光機 (日本) 1952(昭和27)年
大和光機が製造。「ライカ」の外観でレンズシャッターを採用した小型の距離計連動カメラ。レンズ交換はできない。海外にも多く輸出され、人気を博した。「ゴールデンビュー」は通常の「パックス」の金属部分を金色にしたもので、革は緑のほか赤が用意された。
●「ニコンSP」 日本光学工業 (現ニコン 日本) 1957(昭和32)年
6種類の焦点距離に対応。初期は布幕シャッターだったが、後に金属幕シャッターを使用。この後、国産カメラの一眼レフカメラの時代が幕開けとなる。
※ここに記載したカメラ名は展示予定機種の一部です。
タイトル
日本カメラ博物館 特別展
「世界のライカ型カメラ ―小型精密カメラの進化と発展―」
開催期間
2014年3月11日(火)~6月22日(日)
展示品
「ライカ」に範をとった世界各国の「ライカ型カメラ」ほか関連資料を展示。
(展示点数約250点を予定)
関連イベント
日本カメラ博物館講演会
「田中長徳“らいか”を語る」
講師:田中長徳氏(写真家)
2014年5月17日(土)13:00~15:00予定
参加料:300円
【要予約】
常設展等
常設展として世界最初の市販カメラ「ジルー・ダゲレオタイプカメラ」、「日本の歴史的カメラ」約300点、「ライカコーナー」、「カメラのおもちゃコーナー」、「カメラ体験コーナー」、「分解パネルコーナー」などを展示
図録販売
今回展示される資料を収めた図録を制作し、日本カメラ博物館受付にて販売します。または通信販売もご利用いただけます。
図録はこちら
開館時間
10:00~17:00
休館日
毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日の火曜日、5/7(水))
展示替え期間 2014年3月3日(月)~3月10日(月)
入館料
一般 300 円、中学生以下 無料
団体割引(10名以上)一般 200 円
所在地:102-0082 東京都千代田区一番町25番地 JCIIビル
交通機関
- 東京メトロ◎半蔵門線半蔵門駅下車 4 番出入口より徒歩 1 分
- 東京メトロ◎有楽町線麹町駅下車 3 番出入口より 徒歩 8 分
- 都営バス「都03 (四谷駅 - 半蔵門 - 日比谷 - 銀座四 - 晴海埠頭)」
- 都営バス「宿75 (新宿駅西口 - 東京女子医大前 - 四谷駅前 - 半蔵門 - 三宅坂)」
半蔵門停留所下車 徒歩 4 分
- 駐車場はございませんので、お車でのご来館はご遠慮ください。
- 日本カメラ博物館とJCIIフォトサロンの入り口は異なりますのでご注意ください。
- 日本カメラ博物館へご来館の際は、お足もとが不自由な旨ご連絡いただければ、エレベーターにてご案内いたします。
- JR東京駅からは、東京メトロ◎丸の内線東京駅→大手町駅にて◎半蔵門線に乗り換えると便利です。