写真展

飯島志津夫作品展「富士山 風土と参道」

開催期間:2008年10月28日(火)2008年11月30日(日)
(c)Shizuo Iijima

 JCIIフォトサロンでは、来る2008年10月28日(火)から11月30日(日)まで、飯島志津夫作品展「富士山 風土と参道」を開催いたします。

 標高が日本一高い富士山は、その雄大で美しい姿と、時々噴火し災害をもたらすことなどから、古来より神仏の住む霊山として人々に崇められてきました。また、聖徳太子が馬に乗って登山した際、裾野に住む人々を思いやり、仏の恵みをと経文を投じたという伝説が伝わっており、鎌倉・室町時代には修験者が修行を行う宗教的に特別な場所で、ごく一部の人間しか立ち入れませんでした。しかし、江戸時代に関東で富士山を信仰する富士講が大流行すると、一般庶民も富士登山ができるようになりました。当時は車など無いため、徒歩で江戸を出発した富士講信者は、甲州街道を西に進み、大月宿(大月市)で分岐する「ふじ道」を通り、上吉田の富士北口登山口から吉田登山道をたどって富士山頂を目指しました。その後、大正時代末期から観光登山の色合いを帯びるようになった富士登山は、1964年に富士スバルラインが開通して5合目まで車で一気に登れるようになると、そのスタイルは大きく変化し、富士吉田駅と北口本宮冨士浅間神社を基点とした吉田登山道と富士講は急激に衰退していきました。

 富士山に魅せられ、1962年に富士吉田市に移住した写真家の飯島志津夫氏は、衰退し、荒廃してゆく登山道と富士講を今のうちに記録に残さなければならないという思いで、かつての内藤新宿(新宿区)を基点とした富士講の旅を、詳細に写真で記録しました。今回の展示では、往時の面影を残す街道や宿場町の様子、富士信仰にかかわる史跡、行衣と呼ばれる白装束姿の富士講信者が江戸時代から守り継いできた信仰としての富士登山の様子など、今では貴重な記録といえる作品、約80点(すべてモノクロ)をご覧いただきます。


飯島 志津夫 (いいじま しづお)
1934年東京・大森生まれ。1954年カラーラボ野田カラーに入社。1962年野田カラーを退社し、富士吉田市に転居。フジフォト工房を設立し、富士山と山麓の撮影に本格的に取り組む。1969年二科会写真部入選、以後10回入選。生前は、日本写真家協会会員、日本写真協会会員、日本写真家ユニオン会員、二科会写真部会員、花の会本部常任理事・山梨支部長、富嶽写真家協会会長を務めた。2005年忍野村・岡田紅陽写真美術館に自選作品190点を寄贈。2007年11月19日食道癌のため逝去、享年73歳。

<受賞歴>
1981年富士吉田市文化協会賞、1985年中華人民共和国国際写真サロンにて金賞・銀賞、1987年富士吉田市文化功労賞、1997年富士吉田文化振興「芙蓉文化賞」、2005年第53回二科会写真部展・会員努力賞。

<写真集>
『富士山・その風土と参道』(研光社/1973年)、『富士五湖風物詩』(共著/文一総合出版/1980年)、『富士山』(日本カメラ社/1985年)、『新富嶽百景』(共著/山梨県庁/1986年)、『富士光彩』(株式会社ぎょうせい/1986年)、『富士山の四季』(日本カメラ社/1991年)、『ふじさん(おおきなしぜん ちいさなしぜん―かがく)』(フレーベル館/1995年)など。

<ビデオ、CD-ROM>
ビデオ「富士山の四季」(バップビデオ/1984年)、CD-ROM「富士山の四季」(TDKコア株式会社/1996年)、CD-ROM「日本を撮る『富士山』」(TDKコア株式会社/1996年)、ビデオ「プロテクニックシリーズ『富士山を撮る 飯島志津夫の世界』」(TDKコア株式会社/1997年)。

<主な個展>
「富士参道」(アサヒペンタックスギャラリー、横浜、甲府、塩山、富士吉田/1973年)、「富士山」(東京フォト・ギャラリー/1976年)、「富士山」(東京フォト・ギャラリー、大阪サンストア・ギャラリー/1977年)、「霊峰富嶽」(名古屋ワキタ・ギャラリー/1979年)、「富士山」(東京富士フォトサロン、大阪フジフォトサロン/1980年)、「富士山」(富士吉田市郷土館/1986年)、「富士光彩」(ペンタックスフォーラム、富士吉田/1986年)、「富士山の四季」(室生アートハウス/2004年)、「富士山」(岡田紅陽写真美術館/2007年)など多数。

 


タイトル

飯島 志津夫 作品展 「富士山 風土と参道」

開催期間

2008年10月28日(火)~11月30日(日)

展示内容

雄大で美しい姿と、時々噴火し災害をもたらすことから、古来より神仏の住む霊山として人々に崇められてきた富士山。長く宗教的に特別な場所としてごく一部の人間しか立ち入れなかったが、江戸時代に関東で富士山を信仰する富士講の大流行によって、一般庶民にも登山が可能となった。大正末期から観光としての富士登山が増え、1964年に富士スバルラインが開通し、5合目まで車で登れるようになると、信仰としての富士登山は急速に衰退した。
富士山に魅せられ、1962年に富士吉田市に移住した写真家の飯島志津夫氏は、衰退し、荒廃してゆく登山道と富士講を今のうちに記録に残さなければならないという思いで、かつての内藤新宿を基点とした富士講の旅を詳細に写真で記録した。今では貴重な記録といえる作品約80点(すべてモノクロ)を展示。

展示点数

約80点(全作品モノクロ)

図録販売

今回展示される作品を収めた図録を制作し、フォトサロン受付にて販売します。または通信販売もご利用いただけます。

図録はこちら

開館時間

10:00~17:00

休館日

毎週月曜日(祝・祭日の場合は開館)

入館料

無料

 

所在地:102-0082 東京都千代田区一番町25番地 JCIIビル

交通機関

  • railway東京メトロ◎半蔵門線半蔵門駅下車 4 番出入口より徒歩 1 分
  • railway東京メトロ◎有楽町線麹町駅下車 3 番出入口より 徒歩 8 分
  • bus都営バス「都03 (四谷駅 – 半蔵門 – 日比谷 – 銀座四 – 晴海埠頭)」
  • bus都営バス「宿75 (新宿駅西口 – 東京女子医大前 – 四谷駅前 – 半蔵門 – 三宅坂)」
    半蔵門停留所下車 徒歩 4 分

  • 駐車場はございませんので、お車でのご来館はご遠慮ください。
  • 日本カメラ博物館とJCIIフォトサロンの入り口は異なりますのでご注意ください。
  • 日本カメラ博物館へご来館の際は、お足もとが不自由な旨ご連絡いただければ、エレベーターにてご案内いたします。
  • JR東京駅からは、railway東京メトロ丸の内線東京駅→大手町駅にて半蔵門線に乗り換えると便利です。