写真展

「金丸重嶺vs名取洋之助――オリンピック写真合戦 1936」

開催期間:2018年6月5日(火)2018年7月1日(日)
金丸重嶺撮影[古田康治選手(三段跳び) 練習風景@ヘルシンキ
名取洋之助撮影[スタジアムでのナチス式敬礼 開会式@ベルリン]

 JCIIフォトサロンでは、来る2018年6月5日(火)から7月1日(日)まで、「金丸重嶺vs名取洋之助――オリンピック写真合戦 1936」を開催いたします。

 金丸重嶺(1900-1977)は、日本のコマーシャルフォトの先駆者であり、1939年設立の日本大学専門部芸術科写真科(現日本大学芸術学部写真学科)で初代主任に就任以降、写真教育者として多くの後進を育てたことで知られています。名取洋之助(1910-1962)は、写真家となったドイツでの経験から組写真で語る〈報道写真〉の概念を日本に持ち込み、戦前には対外グラフ誌『NIPPON』を創刊し、戦後は『岩波写真文庫』の制作で活躍しました。

 晩年の仕事で著名な二人ですが、1930年代の若き日には新しい写真表現を仕事に実現させようと邁進し、1936年開催のオリンピックベルリン大会(8月1日-16日)では現地に赴いて選手や競技を取材しています。

 本展の中心は、二人のオリンピック取材写真です。ヘルシンキで直前練習を行い、ベルリンに到着して歓迎を受け、選手村でくつろぎ、ナチス式敬礼でスタンドが埋まる開会式に臨み、競技に向かう選手たち。女子200㍍平泳ぎで金メダルを得た前畑秀子、棒高跳びで銀・銅メダルを分かち合った大江季雄と西田修平ら、選手らの息吹と時代の波を、二人それぞれが生き生きと切り取っています。

 日独間の写真電送がようやく実現した当時のこと、金丸は日本新聞写真連盟(福岡日日新聞、新愛知新聞、河北新報、北海タイムス、アサヒカメラ)特派員、名取は中外商業新報(現日本経済新聞)とドイツのウルシュタイン社特派員であったため、写真送稿では25歳の名取が10歳年上の金丸を出し抜いたこともあったようです。選手の人間性や社会を写し、競い合った二人の写真は、今日のオリンピック写真の原型とも言えましょう。

 初めてドイツを訪れた金丸が夢中で撮ったベルリンのショーウインドウや、名取がドイツ人の妻とドライブした地方の風景なども合わせて展示いたします。

鳥海早喜(日大芸術学部写真学科専任講師)+白山眞理(日本カメラ財団調査研究部長)講演会「彼らがドイツで目指したものは、」を6月9日(土)に開催いたします!(要予約)

 

金丸重嶺 (KANAMARU Shigene 1900-1977)

1900年東京生まれ。写真館で働く義兄の影響で写真を始める。YMCA英語学校を経て1920年に東京通関株式会社に入社。1926年に日本初の商業写真専門スタジオ「金鈴社コマーシャルフォトスタジオ」を設立。傍ら、1927年には商業美術同人会「七人社」に参加、1929年にはP.C.L(現東宝映画株式会社)嘱託カメラマンとなる。1935年、全日本写真連盟理事就任。1936年に渡独してオリンピック取材後にヘルムアーベル写真学校で学び、同年帰国。1939年に新設の日本大学専門部芸術科写真科(現日本大学芸術学部写真学科)主任に就任。1943年に陸軍省後援の写真壁画「撃ちてし止まむ」の撮影を担当。戦後も写真教育者として後進を育成し、1958年に日本広告写真家協会(APA)初代会長、1960年に日本大学理事、1966年に同大芸術学部学部次長就任。

著書は、『商業写真術』(アルス、1931年)、『新興写真の作り方』(玄光社1932年)、『海外作家五十人集(アサヒカメラ叢書17)』(朝日新聞社、1937年)、『写真芸術を語る』(朝日新聞社、1970年)ほか。

名取洋之助 (NATORI Younosuke、1910-1962)

1910年 東京生まれ。慶應義塾普通部卒業後ドイツに渡り、1931年にミュンヘンのグラフ雑誌に寄稿した写真が採用されて写真家となる。以降欧洲のグラフ誌で活躍し、1933年に東京へ拠点を移して日本初の報道写真制作集団として日本工房を設立。1934年に対外宣伝グラフ誌『NIPPON』創刊。1936年にオリンピック取材でドイツを再訪し、翌年アメリカで『LIFE』契約写真家として活躍後に帰国。1938年の国家総動員法施行後、陸軍の上海写真制作所(プレス・ユニオン・フォトサービス)の写真撮影、配信を請け負う。1940年には中国へ移住して、終戦まで対外宣伝グラフ誌などの制作を指揮する。1946年に中国より引き揚げ、国内向けグラフ誌『週刊サンニュース』編集、『岩波写真文庫』の撮影、編集、制作を行ない、晩年は中国の麦積山やアルプスのロマネスクをテーマに撮影を重ねる。

作品集は、『GROSSES JAPAN (DAINIPPON)』(カールシュペヒト社、1937年)、『麥積山石窟』(岩波書店、1957年)ほか。著書は、『新しい写真術』(慶友社、1955年)、『写真の読み方』(岩波新書、1963年)ほか。


タイトル

金丸重嶺vs名取洋之助――オリンピック写真合戦 1936

開催期間

2018年6月5日(火)~7月1日(日)

展示内容

金丸重嶺と名取洋之助が1936年に撮影したオリンピックベルリン大会。メダリストとなった西田修平の練習風景、前畑秀子の競技、ナチス式敬礼で埋まる会場など、選手の人間性や社会をテーマに二人が競うように撮影した写真は、今日のオリンピック写真の原型である。

展示点数

約81点 (金丸38点、名取43点)

図録販売

今回展示される作品を収めた図録を制作し、フォトサロン受付にて販売します。または通信販売もご利用いただけます。

図録はこちら

開館時間

10:00~17:00

休館日

毎週月曜日(ただし、祝日の場合は開館)

入館料

無料

所在地:102-0082 東京都千代田区一番町25番地 JCIIビル

交通機関

  • railway東京メトロ◎半蔵門線半蔵門駅下車 4 番出入口より徒歩 1 分
  • railway東京メトロ◎有楽町線麹町駅下車 3 番出入口より 徒歩 8 分
  • bus都営バス「都03 (四谷駅 - 半蔵門 - 日比谷 - 銀座四 - 晴海埠頭)」
  • bus都営バス「宿75 (新宿駅西口 - 東京女子医大前 - 四谷駅前 - 半蔵門 - 三宅坂)」
    半蔵門停留所下車 徒歩 4 分

  • 駐車場はございませんので、お車でのご来館はご遠慮ください。
  • 日本カメラ博物館とJCIIフォトサロンの入り口は異なりますのでご注意ください。
  • 日本カメラ博物館へご来館の際は、お足もとが不自由な旨ご連絡いただければ、エレベーターにてご案内いたします。
  • JR東京駅からは、railway東京メトロ丸の内線東京駅→大手町駅にて半蔵門線に乗り換えると便利です。